「居場所に来るのも大変なんですよ!」
久々に居場所に顔を出してくれた本人さんがボヤいた言葉です。
外に出る、居場所で過ごすって、「普通の人」からすると、
当たり前で何も大変なことはないって思いますよね。
しかし本人にしてみれば、「外に出る」という行為の一つ一つが大変な作業だったりします。
- 時間を決めて起床する
- いろんな人を想定しながら身なりを整える
- 駅でキップを(迷いながら考えながら)買う
- 人の目を気にしながら、降車駅を確認しながら電車で過ごす
- 駅を降りて迷子にならないように歩く
- 居場所で見知らぬ人と時を過ごす、等々。
これら全て、本人にとっては何一つ当たり前のことではありません。
「外に出る」という言葉ひとつで表現される行為なのかもしれませんが、
実はとても大変な作業の集まりなのです。
おまけに人によっては、この一連の行動を前夜にシミュレーションしたりもします。
(だから眠れませんし、当日は行動の前にすでにクタクタです)
実は「外に出る、居場所で過ごす」って、場合によってはとても大変なことなんです。
「当たり前」の時間や行為から外れてしまった、
そして関わりの場からはぐれてしまった人にとって、
「居場所をもつ」「当たり前の時間をもつ」という“日常”は、
実のところ全くの非日常の努力を必要とするのかもしれません。
みなさんいかがでしょうか。
(ニュースレター『ARUマガジン』8月号より)